茅ヶ崎しらすとは
茅ヶ崎産しらす・海鮮・野菜の専門通販サイト
茅ヶ崎で獲れたしらす・海鮮・野菜をあなたのご自宅や事業(飲食業・食品加工業)でも!
茅ヶ崎生まれ茅ヶ崎育ちの魚屋さん「魚卓」がお届けする新鮮なしらす・海鮮・野菜をぜひお楽しみください!
「茅ヶ崎しらす」の運営会社
「茅ヶ崎しらす」をご覧いただき、ありがとうございます!株式会社「魚卓」の浅見卓也です。
私は茅ヶ崎生まれ・茅ヶ崎育ちです。茅ヶ崎の美味しいしらすや地魚を全国にお届けして、茅ヶ崎の良さをぜひ皆さんにも知って欲しい!
以下に私の生い立ちや想いが載っていますので、ぜひお読みください。それではご注文、お待ちしております!!
■第一話 会話がどんどん生まれるようなことをしていきたい
(以下、内容抜粋)
茅ヶ崎の中海岸にある「蘭」っていう飲み屋兼ラーメン屋みたいなお店があるんですけど、そこで生まれ育ちました。僕はひとりっ子で、家にはおふくろしかいませんでした。
魚卓も地元で始められて良かったです。地元でやっていると、自分が知らないうちに応援してくれる人たちがいるから、ありがたいし、余計に失礼があっちゃいけないと思ってやれます。
だからね、こっちも楽しみながら仕事してますよ。僕は中卒だし学がないんだけど、やりたいことやれて最高ですよ。休みの日に家にいても、「もし今日仕事場にいたら、何人のお客さんに会えたのかなー」って考えます。毎日、何があるかわからないじゃないですか。どんな出会いがあるかとか、面白い話があったかもとか。知り合いが増えたはずだったんじゃないかとか。
■第二話 中卒の悪ガキ
(以下、内容抜粋)
昔は悪ガキで、勉強なんか全然できませんでした。茅ヶ崎の海辺で、浜須賀中と一中の十対十の喧嘩みたいな、そういうことをしてるような子どもでした。それで、なぜだかはわからないんですけど、僕、当時はみんな高校って行かないものだと思ってたんですよ。
おふくろから「高校行かないなら働け」って言われて、知り合いの鮮魚を扱う会社に引き取ってもらえて。中学を卒業して、それこそ1週間後から働き始めました。
会社の先輩が近所にもいて、やっぱり元不良なんですけど、毎朝家に来て自転車に乗っけてくれて、会社に連れて行かれるんですよ。こっちも家にいたら捕まっちゃうから、不良仲間の溜まり場みたいな所にいたら、先輩がそこにも来て。「テメー何やってんだ!」って殴り込みに来るんですよ(笑)
■第三話 魚卓の設立と、裏切り
(以下、内容抜粋)
当時勤めていた会社に、とにかく売るのがうまいAさんって人がいたんですね。彼は技術面はそうでもないんだけど、何せ売るのがすごい。それで、僕も推薦してAさんは店長になったんですけど、あるとき周りに何にも言わず会社を辞めちゃったんですよ。
そしたらいまAさんは人材派遣会社を経営していて、儲けも出てるから、浅見さん何か一緒にやりましょうよって誘われて。
あるときそのAさんから連絡があって、「魚卓が赤字になってる」と。でもこっちは家賃も仕入れも給料もちゃんと見てるから、赤字に気がつかないわけないんですよ。ましてや現金商売だし。
■第四話 お金はなくなっても、人との信頼関係は残されていた
(以下、内容抜粋)
もう最初は頭真っ白でしたね。夜は寝れないし変な汗出るし。1億円の借金なんてテレビのニュースで聞くような額だから、自分なんかに返せるとは思えませんでした。
身の回りの売れるものは全部売ったんですけど、全然足りないわけですよね。で、市場の人とかに、とりあえず話しに行ったんですよ。そうしたら、僕は中卒で働き始めたから、15歳から市場に通ってきたわけじゃないですか。そういうガキの頃から付き合いがある人たちがみんな、「お金はいつでも良いよ」って言ってくれて。
市場の駐車場でひとり頭抱えて涙流してたら、まだ何も知らないはずのおふくろから電話がかかってきて、「もし何かあるんなら、もう辞めちゃいなさい。うちの家を売ったっていいんだから」と。これはびっくりしましたね。おふくろってすごいなって。
第五話 遠回りして、やっとわかる
(以下、内容抜粋)
西湘バイパスってあるじゃないですか。134号からぐーっと坂道を登る入口がある所。その坂の上で15mの高さからトラックごと落っこちてしまって。当時はテレビのニュースにもなりました。奇跡的に助かったんですけど、死んでもおかしくないぐらいの事故でした。
それで、命が助かったのは良かったけど、入院したら色々考える時間ができちゃって。そういう時って余計なこと考えちゃうじゃないですか。で、もうダメだなと。なんか色々諦めかけてて。
そしたら、また色んな人が助けてくれて。事故がテレビのニュースになったからみんな知っていて、お客さんも沢山来て励ましてくれた。変な話、僕からしたら自分のことをそこまで気にしてないだろうと思っていたような人までお見舞いに来てくれて、色々考えさせられました。
■第六話 歩きながら挨拶や会話がたくさんできる商店街にしたい
(以下、内容抜粋)
まず魚卓の話で言えば、働いている人たちが魚卓から独立して会社を持てるようにしていきたいです。商売に絶対はないけど、いつか独立しても何とかやっていける力はつけてあげたいし、自分がその道を作らなきゃいけないと思っています。
いつか魚卓のスタイルを覚えてから会社を興した人たちが、「魚卓で働いたことのある人はやっぱりすごいですね」と言われるような会社にしていきたいです。
まあでもラチエン祭とか、湘南祭とか、人が集まるのはやっぱり良いことだから、何か考えて行きたいんです。魚卓は他の地区のお祭りからお声がけいただいて出店させてもらったりしますけど、たった一人でも僕は声出して賑やかしをしますから。やっぱりそういうの好きなんですよ。